紅色の有終の美
日付:2016.10.19 カテゴリー:お知らせ what's new

外壁の蔦の紅葉がすすんできました
今年は比較的暖かい日が続いている10月ですが明日から寒くなるようです
急に気温が下がると一気に紅葉が進みます
四季で表情を変える海猫屋ですが、マスターはこの紅葉の時期が一番好きだと言っています?
赤煉瓦とのグラデーションが美しい
そして美しいものはどこか儚くて哀しくもあります。
きっと《海猫屋さん》自身も有終の美を飾りたいと思っているのです
k

日付:2016.10.19 カテゴリー:お知らせ what's new

外壁の蔦の紅葉がすすんできました
今年は比較的暖かい日が続いている10月ですが明日から寒くなるようです
急に気温が下がると一気に紅葉が進みます
四季で表情を変える海猫屋ですが、マスターはこの紅葉の時期が一番好きだと言っています?
赤煉瓦とのグラデーションが美しい
そして美しいものはどこか儚くて哀しくもあります。
きっと《海猫屋さん》自身も有終の美を飾りたいと思っているのです
k
日付:2016.10.19 カテゴリー:お知らせ what's new
『誠さん、長い間海猫屋をつづけてくれてありがとうございました』再会での開口一番小島氏は深々と頭を下げていました
やっぱり、この日のことはどうしても書き留めておかなくてはならないという気持ちです

海猫屋の原点でもある北方舞踏派の創設メンバーのひとりである小島一郎が、先週丹波篠山から来てくれました
閉店前にどうしても海猫屋とマスターに会いたいと思ってくれたのでしょう
40年前の海猫屋の開店に携わり、北方舞踏派が去った後もひとり小樽に残り万象館を創設、踊りつづけました

海猫屋がなくなることは本当は誰よりも寂しいのは彼に違いないのだけどそれよりなによりマスターとわたしのこれからの人生そのものを応援してくれている想いを強く感じました
数え切れない想いを共有してきたからの関係でしょう
ただ元気でいてくれればいい、幸福でいてほしい、と願える人がいるほど人生の贅はありません。

小島氏との出会いはわたしにとっても35年以上もたちます。20代前半に東京からの旅で偶然と通りかかった万象館に宿泊したのが縁です
その後数年以上経って私が小樽人となるのです

今もなお仕事を続けながら踊り続けている小島氏に心からの敬意を、そして感謝を伝えるためうまく文章になりませんが書き留めました
小島さん、幸ちゃんありがとう!お元気で!
k

日付:2016.10.17 カテゴリー:お知らせ what's new
誰もいない夕方。《気配》達と対話する。
とてもとても長い間の海猫屋の住人たち
私たちを見守りマスターを主人(あるじ)として敬意をもって支えてきた彼らと。
とても秘密めいたとも、とてもプライベートともいえる親密な時間。
言葉ではなく、でも、確かに通いあっている。贅沢な、とても贅沢な時間




日付:2016.10.16 カテゴリー:お知らせ what's new
今月になって以前海猫屋で働いていたスタッフが顔をだしてくれています。30年前のスタッフ、20年前のスタッフ、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいることを確認し合えるのは嬉しい時間です
海猫屋は彼らにとってはどこかふるさとのような、帰ってくる場でもあったし、マスターも私も息子や娘を迎えるような気持ちでもありました
昨夜はこの10年前後のOBOGの同窓会のような会でした。
この日のために仕事の都合をつけて集まってくれました
遠い道内や東京からも!みな全国各地で仕事をしています
一緒に働いたことはなくても誰かと誰かは繋がっていて、あんなことやこんなことがあったねという会話を聞いていて私も幸福な気持ちになりました

皆の履歴書が残っているので昔の自分と再会!激変しているメンバーもいて大ウケ。


彼らが学生時代に海猫屋で出会って、私も彼らからたくさん教えられました
ほんとに誇らしいスタッフたちです
なんといってもあのマスターについてきてくれただけでもスゴ~イと思ってしまいます

ほんとうにみんなに感謝!
この日これなかったスタッフたちも!
みんなの幸福をほんとうに本当に心から願ってやみません♪
日付:2016.10.14 カテゴリー:お知らせ what's new
9月19日のブログで海猫屋ストーリーとしてご紹介した創業者の磯野進氏のお孫さんにあたる磯野宇市様から丁寧なお手紙を頂戴しましたのでご紹介します
新聞で海猫屋閉店の記事をみてお手紙をくださったそうです(先日読売新聞が全国版でとても大きな記事を書いて下さいました)
子供のころにはこの蔵で従弟さんたちと遊んだ思い出や、おばあ様にしかられ蔵にいれられたことなど、子供らしい思い出が綴られていて、この建物が(旧)磯野商店であったことの重さと思いを深めました。
倉庫が海猫屋として40年間昔のまま残していることに筆舌に尽くしがたい誇りを感じていましたと綴られており、私どもも思わず胸がつまる思いでした.。

以下お手紙をを書きうつさせていただきます
『十月も半端、ぼつぼつ雪の便りが聞こえてくる時候となりました
ご健勝のこととお喜び申し上げます
見ず知らずのものが突然お便りし、さぞ驚かれたことと存じますが、新聞紙上に「海猫屋閉店」の記事をみて早速ペンを執った次第です
小生、進の孫として1930年、色内町5-1磯野商店で誕生し、小学2年生まで東京浜松町で乳母に育てられ、祖父進の危篤の報せで又小樽に戻りましたが、子供の頃よく元倉庫で(1~3階)従弟等と遊んだものです。
東京から小樽花園小学校に転校して時、新しい学校になじめず不登校で祖母に倉にいれられたことが忘れられません
その海猫屋が昔の姿のまま残っていることに筆舌に尽くせぬ誇りを感じておりました
一度も面接してお話できなかったこと、今となって後悔しております
長い間大切に維持されてきた増山様に心から感謝申し上げます
40年もの間本当に御苦労さまでした
最上町の菩提寺にお参りする度に必ず海猫屋の方にも足を伸ばしていたのですが老齢の身ではそれもかなわず、お逢いすることもなく閉店とは淋しい限りです
3年前か重三郎一家がお訪ねいたとの事、その前に東京の従妹もお邪魔したと話しておりました(私も若い頃2回ほど)
もっと親しくお訪ねするんだったと後悔しております
つまらぬ事を並べましたがどうぞ閉店後もご健康に留意されますよう
一言旧倉庫を守って下さったことに感謝しお礼と致します
ご家族様の一層のご健康をお祈り致します 磯野 』

