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海猫屋ストーリー

日付:2016.09.17  カテゴリー:お知らせ what's new

海猫屋のアルバムは二階にあるのですけどなかなかお客様も手に取る方は少ないようなのでこちらで紹介いたしますね

海猫屋の建物は1897年に佐渡の味噌商人磯野進が興した磯野商店(海産物商)の家財道具や味噌が納めるために倉庫として1906年に建てられました

磯野進氏は一台にして資本家、大地主となり、二度も商工会議所の会頭をつとめたと記録されていますからかなり商才と人望のあった方と想像しますFullSizeRender
写真は昭和13年(1938年)の磯野進氏の葬儀の写真です。昔は白喪服だったと聞いたことがあるのだけど、この写真は貴重です。

戦争が激化して弔いの儀が多くなると白では汚れやすいという理由もあって西洋にならい黒喪服が主流となったそうです。

この木造家屋が磯野商店、隣接している建物が倉庫でいまの海猫屋です。当時赤レンガは貴重で富の象徴でもあったそうです

ここからは海猫屋誕生ストーリーです♪
1976年蔵を借り受け、舞踏団体「北方舞踏派」の稽古場兼ライブステージとして喫茶店「海猫屋」がオープンします

配管もガスも水道もない蔵を自分達でつくりあがてゆきました。当時の海猫屋周辺には全く人の気配もなく住所も「番外地」と記されていたと聞きます
まさに小樽が斜陽の町といわれ衰退していた時期です。もちろん観光客が訪れるような町ではありませんでした

海猫屋が開店してからは小樽市でも住所として認めれれたのでしょう。私の免許証や保険証にも「色内2-2-14海猫屋」までが住所となっています。

駐車違反をしてしまったときに警官のかたに「海猫屋さんですね」といわれてしまい、バツの悪い思いをしたことがあります(苦笑)IMG_5263FullSizeRender (1)

1976年の3月に着工、6月に海猫屋として誕生します。

全国から若者たちが集まり、当時の小樽では異様にさえ見えたであろう舞踏団の活動が始まるのです

今はレストランとして認識されている海猫屋ですが、もともとはアーティストの集いの場、まさに時代のさきがけとなった活動が始まります!つづきはまた!FullSizeRender (2)

 

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